「わたしが障害者じゃなくなる日」海老原宏美 著を読んで

本書は、長男から父の日のプレゼントとしてもらった。その時、読後に感想文を書くように言われた。野暮用で中々読む時間が取れなかったが、先日時間がとれて一気に読み終えたので忘れないうちに書くことにした。

2年程前、海老原さんの主演映画「風は生きよという」を新宿の小さな映画館で観て、海老原さんも来られていて本書の内容のさわりの部分のお話を聴き、帰り際にご挨拶もさせて頂いた。

さて、本書の感想であるが、まず、タイトル「わたしが障害者じゃなくなる日」が気になった。「そんなことが有るのか」と読み始めた。最初の著者の言葉「障害はあなたが作っている」と言うのには、少々驚かされたが、著者の主張は、

「従来の考え方は、お店に入るときに段差かあれば、車椅子利用者が障害者、今の考え方は、入り口に段差があるお店が障害と言う様な考え方」である。

読み進めると障害者の障害とは何かと言うことと、障害が無くなるという事の意味が少しずつ分かってきた。私も若い頃から近視だったので、周りが良く見えないという障害があったが、眼鏡を使えば普通に見える。従って視覚障害者と呼ばれていない。補聴器を利用すれば、普通に聞こえる。この様に何らかの補助や支援があれば、障害がない者とすることになる。また、先の入り口に段差のあるお店は、スロープなどで車椅子が店内に入ることが出来れば、そのお店は車椅子利用者にとっては障害ではなくなる。

しかし、現状を見ると、障害と言っても大変広く、多様であり、一人一人が異なった対応をする必要が有る。著者は、本書の中で、社会にそれらの障害を改善することで、障害者やシニアなどが暮らしやすい社会とすることを目指している。

著者は、一歳半で脊髄性筋萎縮症と診断されたが、小学校から大学まで普通の学校で、車椅子と人工呼吸器を使用しながら学んだ。それは、お母様の「全ての人は対等に生きるべき」と言う強い信念があった事もある。また、お母様の養育方針に「何事も誰かのせいにしない」、「兄弟を頼らない」、「なんでも本気にやる」、「困ったときには、手伝って、と言う」、「差別された時には、社会のせいにして良い」という、ことで著者が前向きに自主性を持つが、困ったときには、手伝ってもらい、差別されたときは、その人のせいにしないで社会の改善と言う事に目を向けるという、現在の著者の「自主生活センター東大和」の設立、運営の原動力になっているものと思われる。

私の場合、何かまずいことが有れば人のせいにしてしまう性質だが、かなり自分にとってダメだと思うのは、「困ったときには”手伝って”と言う」事であると思う。

ずっと仕事でも、同僚に頼むより自分でやったほうが早いと考えてしまい、其の為に、以前の会社では跡継ぎが出来なかった。上手な指導者にはなれないタイプかも知れない。

この性質は、今後生き残れない人種かもしれない。なまじ全部一人で出来てきたと思っているからである。おそらく、中途障がい者や年老いて来て、だんだん今迄出来ていたことが出来なくなった自分に気が付かない人がこの種の人間であると思う。

また、日本人によくある「困っていても御かみの世話にはならない」みたいなことを、自分の信条のように持っている人も居る。特に人に気を使われるという事を忌避するような方も居る。多様な人がいるのは、その人生経験などから理解できるが、どこか性質がねじ曲がっていて、損な方に思われる。人を信用しない、人の温情を信じない。そのような事がその原因かもしれないが、それは今の社会がこれらの人を生み出したともいえるのではないであろうか。

しかし、この本の著者は、幼いころから介助が必要だったので、人の手を借りる能力に優れていると思い、とてもうらやましくおもわれた。学校での生活でも、誰にでもお手伝いをお願いすることによって、障がい者とは、こういうものだと、お互いに理解できるようにしながら周りを変えていかれた。私も、社会福祉士の実習で知的障がい者の施設に行ったが、最初は、どんなところかと緊張した。確かに多様な方はおられ、何らかの障害で苦手な事はあったが、その中で一緒に居ると、彼らとの雑談を通して少しずつ彼らの思いを話してくれたりして、仲良くなった人も居た。私は放課後ディケアの子供たちと一緒に居るのが居心地が良く、他の実習生から、「疲れるでしょう」と言われたが、楽しくて全く疲れは感じなかった。(利用者が帰宅してからの掃除の他は。職員の大変さが分かった)

実習の終りには、何人かに「もう、来ないの」と言われ、ちょっとさみしい思いもあり、私が当初考えていた知的障がい者のイメージが全く変わった。人は実際に互いに関わらないと、なんだか根拠のない固定観念を持ってしまうものだと気付いた。著者は、この事に幼い時から気づき、車椅子で野宿しながら釜山からソウルまでの車椅子での韓国旅行や、知らない人達に、出来るところを手伝ってもらいながら目的地に行く「人サーフィン」などの話からみても、どのような場所でも積極的に知らない人にも助けて貰う能力を身に着けて行ったのだと思う。

その意味で、著者が言われるように、今迄の日本社会は、障がい者、高齢者等を地域から分離して生活させる政策を進めてきたことから、共生社会と言いながらも中々その実現に時間がかかっているのではないかと思う。

ところが、現在、少子化による人口減、その為の税収入減等により、これらの人々は施設では無く、地域にて介護支援するという政策に代わってきた。また、「自助するように、近隣の人の助け合い」という事を誰しもがスローガンの様に叫んでいる。しかし、街中も村落でさえも昔のような近隣との付き合いが減り、シニア、障がい者、また、そのご家族は、家族の中だけで解決しなければならいこととなり、疲弊することの心配がある。

それと、政府がこの政策を進めるのなら、それらの人々が暮らしやすい社会システム・インフラを整備構築していかなければならないと思う。

また、政府の進める「地域の中で障がい者やシニアが施設を出て暮らす」ことについては、社会福祉で言う「ノーマリゼーション活動」の本来の意味を考えて行かなければならないと思われる。

話は、元に戻るが著者の行動は、周りの障がいを取り除こうとしている活動である。それは、障がい者ばかりでなく、シニアを含む全ての人が暮らしやすい社会の形成を目指している。

著者も海外旅行をされていて、幾つかの例を話されているが、私もドイツのハイデルブルグ市内等では、沢山の車椅子の人々を街中で出合った。ある町の路面電車では、全てのドアの前に鉄板の様なものが取り付けられていて、駅に着くと、ドアが開く前に、その板がパタンと降りてきてホームの隙間をふさぐようにスロープが自動的に出来るものが有った。日本では、駅員が走り回っているが、日本の技術者がもっと先進国ではどのように対応しているかを調査してくるべきだと思う。日本の技術なら、もっと良いものが出来ると思う。現在、ホームドアを付けたり、ホームの傾斜を修正する工事が障がい者、一般人を危険から守るために行われているが、この様な事もトータルに配慮してほしいと思う。

これからは、お互いに疲弊しない介護・支援を考えて行くべきかと思う。海老原さんの様な考えの方がたくさん出てきて、その考えを実現するために、利用者と支援制度を考える行政、専門家、企業のトップ、エンジニア等が力を合わせて、誰でもが住みやすい社会を作って行く事を切に願う。

 

以上が感想であるが、私どもでは、お互いに疲弊しない介護・支援を目指して、一般社団法人ETA・AAL推進協議会を立ち上げた。事業の内容は、ATMや券売機、電子機器等を使い易くする事とか、一人暮らしや日中一人になる障がい者やシニア、病気や怪我の人々をIT機器で健康状態の見守りや日常生活の支援をすることや、社会とのつながりを続けられるような支援のお手伝いをしたい。

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